HPVの存在証明(2)結核の原因としての結核菌の発見と証明
前回の『HPVの存在証明(1)』では、『ある感染性病原体がヒト(動物)の病気の原因になっていることを、科学的なエビデンスをもって初めて証明した時の根拠・コンセプト』としてヘンレ・コッホの原則の科学史上の意味について概略した。今回は『ヘンレ・コッホの原則』の実際・コッホがどのように結核の原因としての結核菌の発見と証明を行ったのかを詳しく見ることにしたい。
コッホの原則の限界を見る前に、コッホの原則が何をなしたのかを見ることも重要だろう。実際その成果は人類にとってとても大きなものだったし、現在もそれは変わらない🐰
論文では、
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病気を持つ人・動物を観察して、そのサンプルに結核菌を発見した。観察するための新しい染色法を開発した。
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病気を持つ人・動物からのサンプルをもちいて、結核菌を分離(単離)培養した。その方法を開発した。単離培養された結核菌は何世代も継代して培養することができた。
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分離培養した、単一の病原体(結核菌)を動物に接種すると、結核とされるものの病態が再現された。そして、その病変のサンプルからは結核菌が観察された。
ことを述べている。当然だが、ここにはコッホ原則は記載されていない。コッホはこの論文のなかで、結核患者で観察され、単離培養される結核菌が、結核の原因であることを証明するため・他のあらゆる可能性を排除するために行った観察・実験の結果(エビデンス)を記載したのである。本当は『結核菌が結核の原因になっていない』という可能性を潰していく徹底したプロセスを見せたわけだ。
『HPV感染が子宮頸がんの原因である』という主張にも似たような反論をみたことがあるだろう。’偶然子宮頸がんでHPVが観察されただけだ’、’他に原因があって、HPVはその結果感染している(検出される)だけだ’、などなどなど。
HPVにおいては子宮頸がん組織でHPVが発見されてから『HPV感染が子宮頸がんの原因である』といえるまで20年にわたる研究とエビデンスの蓄積がかかったわけだが、コッホは(何年にもわたる研究が背景にあるのだが)一回の発表・一報の論文で『結核菌が結核の原因だ』とエビデンス付きで、あらゆる反論ができない形で見せてしまった。
『学会で聞いた聴衆が声を失った』とされるのも頷ける。
コッホはこの証明のプロセスを、後にコッホの原則としてまとめ上げることになる。
🐰さんは細菌学者ではないのでもっと詳しい人もいるだろう。修正すべき点があれば指摘いただけると幸いだ。コッホの原著を読んでの解説になる。また、原著はドイツ語なので英語へ翻訳されたものがベースだ。
論文発表前まで結核に関してわかっていたこと
まず、コッホが『結核菌が結核の原因』と発表するまでに、
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当時は”Consumption"と俗に言われていた疾患(以後結核で統一する)が”うつる病気”であるらしい疫学的知見。
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動物、特に牛に同様の疾患”Perlsucht”があること。
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結核患者のサンプルを用いての動物への接種実験が繰り返し行われていて、この時点までに感染性疾患であることはほぼ確立していた。
肺結核の典型的な症状として、発熱、寝汗、体重減少、慢性的な咳と血痰。 結核に伴う全身性の「消耗」がそのまま病名”Consumption"となっている。統計によると当時の死の原因の7人に1人が結核であったとされ、特に社会の核となる、壮年層の死亡原因の実に3分の1がこの疾患であった。感染性の病気とされたペストやコレラと比較しても公衆衛生上圧倒的に大きな問題であったのはあきらかだ。
特に結核が猛威を振るったのは、都市部の労働者階級で人口密集と低衛生・低栄養がその理由とされた。抗結核薬の登場までは『大気・ 安静・栄養を基本とするサナトリウム療法』が主な治療法であったのは、病気の原因として『悪い空気(ミアズマ)説』と『病気を媒介するなにか(病原性因子・病原体)に接触することによって起こる(接触伝染・コンタギオン)説』の移行期であったことを考えると自然なことに見える(実際は人口の密集が蔓延のいちばんの原因であった)。
そしてこの病気の原因・本体は不明であった。これが、その時点での状況🐰
ここでコッホの登場