HPVの存在証明⑦病原体の単離・分離とはなにか
サムネはこれを書いた日に登ってた山からの眺め🐰
『単離・精製されたウイルス』とそれを用いての『病原性を確認した』ことに関する行政文書が存在しないことから、『病原性のあるウイルスやさらには細菌まで存在しないとか、感染症が存在しない』という主張を見たことがあるかもしれない。
科学的・医学的議論を行政が文書の有無として議論することは置いといてですよ
単離された病原体とそれを用いた病原性の確認がなぜ問題となるのか?これは、はっきりとしていて、『コッホ・ヘンレの原則』の存在に尽きる(以後『原則』と省略する)。
この『原則』は、ある”疑われた”病原体とある病気との因果関係を証明するための方法が満たす条件を記述したものであり、19世紀にヘンレが提唱し、コッホが実践してみせたものだ。
この場合重要なことは、感染症の概念『感染性のその様な病気が存在すること』を前提に特定の病原体と病気の因果関係を厳密に証明するにはどうするかという問題だ。
前提というのは、病原体と病気の”因果関係”が厳密に証明されていなくても、その感染性の病気が存在することは別に示すことができる、示されているということ。病原体がわかっていなくても『感染性の病気』があることはわかる。
ウイルスなど知らなくても、天然痘が感染性の病気であることは『稲光と雷鳴』の因果関係がわかる程度の観察で推定できるだろう(そしてそれは正しかった)。
この原則を実践しての病原体とある病気との因果関係の証明を、コッホが鮮やかにかつ徹底的に『結核菌と結核の因果関係』を通して示した。その鮮やかさと徹底ぶりはこちらに解説したよ🐰その方法論をまとめたのが『原則』であり、それが理由で『コッホ・ヘンレの原則』と彼の名前が冠されることになったわけだ。ヘンレは1世代前の感染症学者でその概念を提唱した。
科学的な原則と聞くと難しく感じるかもしれないが、この『原則』は実に単純なアイディアで
単独の(一種類しか含まれない)病原体・微生物を準備して、その病原体を用いて感染症を起こすことができれば、その病原体と感染症の因果関係が証明できる
というものだ。
『単離・精製されたウイルスとそれを用いての病原性を確認したことに関する行政文書』を求めることは、そのまま『コッホの原則を満たす行政文書』を求めていることがわかるだろう。つまり、コッホの原則自体は認めて・それに基づいた議論をしていることになる。
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コッホの第1原則・その病原体が疾患、病巣のすべての症例に存在しなければならない
簡単にいうとある病気からその原因となる病原体候補を見つけるということ。まず、病気と病原体を定めないとその後の議論はできないない。
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コッホの第2原則:病気を持つ人・動物のサンプルから、その病原体候補を単離・分離すること
ここで単離・分離を正確に定義・理解する必要があって、前述の様に
サンプル中に単独の(一種類の)病原体・微生物が含まれないことを単離された病原体とする
ここで色々な技術用語上の混乱や誤解が散見されるので追加で説明しよう(辞書の定義を持ってきたって意味がないし、化学用語や一般用語の話とも違う、微生物学上の定義の話だ)。
この点『分離』という用語は曖昧さがのこり不正確だと言える、分離されても単離されていないことがあるから(分離はプロセスよ🐰)。分離された結果『単独の』病原体が含まれると示すことができれば『単離』されたと言える。
『精製』も同様だ。精製(プロセス)した結果『単独の』病原体が含まれると示すことができれば『単離』されたと言える。
病原体『だけ』しか含まれないことではない。100%の病原体(結晶?)という意味でもなく、単離された病原体を水で希釈しても、蛋白質溶液で希釈しても、単離された病原体のままだ。50%精製されたウイルスサンプルなど存在しない。あくまでも、病原体として単独・一種類であるかどうかだ。
そして、単独(1種類)であることをどの様に示すかが問題になる。これは、後で解説する。コッホが示したのは結核の『純粋培養』になり、純粋とは、そのサンプル中に定義した細菌(この場合結核の病変ないから見つかる結核菌)が一種類しか入っていないということを示した。その様な培養方法こそ『純粋培養』だということね🐰
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コッホの第3原則:単離された(単一の)病原体によって、新たに疾患を誘発できることを確かめる
ね🐰
単独の(一種類しか含まれない)病原体・微生物を準備して、その病原体を用いて感染症を起こすことができれば、その病原体と感染症の因果関係が証明できる
概念は簡単でしょ?(第4原則は省いた🐰)
さて『コッホ・ヘンレの原則』を満たすことができれば、病原体と病気の因果関係を証明することができる。一方、コッホ・ヘンレの原則は(ヒトが定めた)1方法論に過ぎず、『コッホ・ヘンレの原則』を満たすことだけが病原体と病気の因果関係を示す方法ではなかった。『コッホ・ヘンレの原則』が確立した当初から『コッホ・ヘンレの原則』では証明できない病原体と感染症は存在し、別の方法でその因果関係は示されてきたわけです。
その様な感染症たち(ウイルス以外)についてはこちらで例を挙げたし、血清学的手法でその因果関係が示されたウイルス性疾患については、こちら(B型肝炎ウイルスとB型肝炎)とこちら(サイトメガロウイルスと伝染性単核球症)で説明した。
『原則』が満たせない限りこの様な病原性微生物と感染症が存在しないとするのであれば、腸チフス・ジフテリア・ハンセン病・マラリア・梅毒・コレラ、B型肝炎、伝染性単核球症(まだまだいくらでもあるよ)などの病原体も感染症の存在しなくなり、今まで確立してきた予防法や診断法・治療法にその根拠がないと主張するとすれば…
控えめに言ってもやばい🐰18世紀以前の医学に逆戻りよ
『単離・精製されたウイルス』とそれを用いての『病原性を確認した』ことに関する行政文書が存在しないことから、『病原性のあるウイルスやさらには細菌まで存在しないとか、感染症が存在しない』という主張は、こういう意味になります。
そして、その主張の中に『結核菌と結核に関して、単離された病原体とそれを用いて病原性を確認された行政文書が存在しない』ことが含まれることは、なかなかに味わい深いことがわかるでしょうか🐰主張の根拠『コッホの原則の実践』となったことに対する言及になり、
それを否定したら、『単離された病原体とそれを用いて病原性を確認された行政文書』を求めること自体の科学的合理性自体が崩壊しませんか?
その文書があったとして・意味があるとしても、その根拠自体がないと言っているのですから。
前置きが長くなったけど、今回の本題に進もう
病原体の存在とその病気との因果関係を示すのに『原則』を満たす必要はないのですが、今回のレターでは、病原体を単離するというプロセスがどの様になされ、単独の病原体しか含まれないサンプルであることをどの様に示すのかの実例を見ていきます。
大学で細菌学やウイルス学を学んだのであれば、やったはずのことです(実習でもあるでしょう)。
せっかくなので『結核菌』と『コロナウイルス』で示します。そして、B型肝炎ウイルスでできなかったこと・その理由と、それが『病気との因果関係を示すこと』の議論にどの様な影響を与えたかなど。
ここまで説明できれば、本格的に『HPV存在証明』に進む『地ならし』ができたことになります。次回以降HPVの存在がどの様に発見され、単離されるのか・分離されるのか・精製できるのか(それぞれ意味が違います)。そして、どの様に病気との関係が示されていくのか、を見ていくことになります。
コッホより以前に、動物実験を通じて『結核患者・患畜のサンプルを用いて結核と同様の病態を作り出すことができる』いわゆる感染実験は行われていて、結核が感染性の病気であることは示されていました。
問題は、その結核という病気が何で媒介されるかが不明だったわけです。